STRANGER THAN HEAVENの「居場所」はなぜ重いのか 龍が如くスタジオ新作が5つの街に置いた足元の話

STRANGER THAN HEAVENの「居場所」はなぜ重いのか 龍が如くスタジオ新作が5つの街に置いた足元の話

『STRANGER THAN HEAVEN』、情報量が多い。
多いというか、質量がある。

龍が如くスタジオの完全新作として今冬発売予定。
1915年のサンフランシスコから始まり、福岡・小倉、広島・呉、大阪・ミナミ、静岡・熱海、東京・新宿へ進む50年の物語です。
そこへ城田優、ディーン・フジオカ、Snoop Dogg、Ado、藤原聡、Tori Kelly、菅原文太といった名前が重なる。

単語の並びだけで、もう机が狭い。
ゲーム発表の枠に、時代と街と声と暴力と音楽を全部置いてくる。
ただの新作発表として受け取るには、足元にかかる重さが大きすぎる。

でも、いちばん重いのはそこではない。
公式が置いた「居場所」という言葉です。

居場所を持たない男たちが、居場所を求めて戦った50年。
これを龍が如くスタジオがやる。
しかも、街を5つ、時代を5つ、身体を左右に割り、音を拾ってショーにする。

この作品、街を歩かせる前に、こちらの中の街を鳴らしてくる。

まず公式トレーラーを置く

見た瞬間に分かる。
これは「昔の日本を舞台にした龍が如くっぽいゲーム」だけでは済まない。

古い街に、重い服と濃い煙が乗る。
声はやたら近いのに、主人公の立つ床はずっと安定しない。

場所があるようで、ない。
日本へ来たのに、帰ってきたとは言い切れない。
むしろ、来た先でまた異物になる。

この不安定さが良い。
天国より奇妙な場所という言葉が、国名でも街名でもなく、足元の感覚として迫ってくる。
たぶん、それは国名でも街名でもなく、足元のことです。

STRANGER THAN HEAVENとは

STRANGER THAN HEAVEN:
セガ発売、RGGスタジオ開発の完全新作アクションアドベンチャー。
発売は今冬予定。
対応機種はXbox Game Pass、Xbox Series X|S、Xbox on PC、Xbox Cloud、PC(Steam)、PlayStation 5。
物語は1915年のサンフランシスコから始まり、5つの時代と5つの街をまたぐ。

タイトルが強い。
STRANGER THAN HEAVEN。
天国より奇妙、という言葉が、思ったより足元に来る。

楽園や救済の話ではなく、救われる場所がどこにもない男たちが、自分の足で床を作っていく話に見える。

この「床を作る」という感覚が大事です。
居場所は、最初から用意されていない。
誰かが優しく渡してくれるものでもない。
殴って、歌って、働いて、名前を得て、時代に削られながら、それでも足元に何かを敷いていく。

その硬さがある。
夢をふわっと持ち上げる言葉ではない。
夢を、拳と喉と街の騒音へ落とす言葉です。

大東真は「帰る」のではなく、場所を作りに行く

大東真:
城田優が演じる主人公。
アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた少年。
両親を失い、母の故郷である日本へ渡る。
アメリカにも日本にも、最初から居場所があるとは限らない人物。

大東真は、日本へ帰る人ではない。
少なくとも、すんなり「帰る」とは言えない。

アメリカではアジア人として迫害され、両親を失い、母の故郷である日本へ向かう。
でも、その日本が彼を迎える保証はない。

この順番がかなり効いている。
故郷へ戻る物語ではなく、故郷かもしれない場所へ賭けに行く物語。
ここでタイトルのSTRANGERが急に体温を持つ。

見た目も、血も、言葉も、名前も、所属も、どれかひとつがあれば大丈夫、とはならない。

だから、真は街へ入るたびに、自分の存在を何度も作り直すことになる。
福岡・小倉でも、広島・呉でも、大阪・ミナミでも、静岡・熱海でも、東京・新宿でも。

場所を変えるたびに、居場所の作り方が変わる。
ここが重い。
そして、かなりおいしい。

真城優は、同じ傷から違う野望へ行く

真城優:
ディーン・フジオカが演じる、大東真の友でありライバル。
真と同じく混血という境遇を持つ。
真が自分の居場所を求める一方で、日本そのものを変えようとする野望を持つ。

大東真と真城優。
この二人の関係は、雑に「相棒」と呼ぶには危ない。

同じ傷を持ち、同じ船にいて、同じ時代に投げ込まれる。
だから二人は近い。

でも、欲しいものが違う。

真は、自分の居場所を作りたい。
真城は、自分たちのような人間が迫害されないように、日本そのものを変えたい。

この差が良い。
痛みの出どころは近いのに、向かう先の縮尺が違う。
一人は足元を作ろうとし、もう一人はその足元のルールを書き換えようとする。

友情ともライバルとも言えるし、共犯や対立の匂いもある。
でも、どれか一語に閉じるには、二人の距離は少し長すぎる。

同じ場所に立っているようで、見ている地平が違う。
その差があるから、二人の近さは少し危うくなる。

5つの街は、時代紹介ではなく足場の変化です

舞台として発表されているのは、1915年の福岡・小倉、1929年の広島・呉、1943年の大阪・ミナミ、1951年の静岡・熱海、1965年の東京・新宿。

これ、ただの豪華マップ紹介ではないと思う。
街の性格がぜんぶ違う。

小倉には製鉄所の硬さがあり、呉には軍港と重工業の圧がある。
戦時下のミナミは歓楽街として明かりを持ち、戦後の熱海には観光地としての湿り気がある。
そして新宿は、混沌と秘密を抱えた終着点として置かれている。

同じ日本なのに、街ごとに身体が違う。
通る場所が変われば、真の歩き方も変わる。

大東真は、そこを50年かけて通る。
街が変わるたび、居場所の作り方も変わる。
働いて得る場所もあれば、殴って開く場所もある。
歌で人を集める場所もあれば、隠れながら名前だけを置く場所もある。

小倉で鉄の音を聞き、呉で海と軍港の圧を浴びる。
ミナミでは明かりに寄せられ、熱海では湯気の向こうに戦後を見る。
新宿へ着くころには、同じ男の歩幅まで変わっている。

この作品の「5つの街」は、景色というより圧力です。

左右半身コンバット、身体がもう落ち着いていない

発表されたコンバットシステムもかなり変です。
褒め言葉。

大東の左半身と右半身を、それぞれ操る。
片手で防ぎ、反対側で殴り、片方が封じられても、もう片方で返す。
武器まで絡むことで、暴力が荒く、重く、近いものとして迫ってくる。

ここで急に、身体がテーマになる。

真は、ひとつの所属に収まりきらない人物です。
血も、国も、言葉も、場所も、きれいに一枚ではない。
その主人公の身体を、左右に分けて動かす。

これ、単なる操作の新しさではなく、分裂した身体の手触りに見える。
右だけでも左だけでも足りず、両方を使わないと生き残れない。

身体がよろこんでいるのに、理性が全力でお断りしている。
操作、絶対に最初は混乱する。
でも、その混乱まで含めて作品の味になりそうなのが困る(困ってない)。

暴力が、気持ちよさだけに寄っていない。
身体の扱いづらさごと、時代の荒さへ落としてくる。

ショービズは寄り道ではなく、もう一つの居場所作り

さらに、ショービズ要素。
ここがまた良い。

大東真は、音楽の才能を見出され、自分で歌うだけではなく興行師としてショービジネスにも関わる。
街で噂を集め、歌手や演奏者をスカウトする。
ほうきを掃く音、いびき、汽車の音、動物の鳴き声、戦う相手の音まで曲作りに取り入れる。

この発想、だいぶ良い意味でおかしい。

暴力で街を切り開き、音楽で街を集める。
この二つが同じ主人公の中にある。

殴るだけでも、歌うだけでもない。
街を聴き、人を舞台へ上げるところまで同じ身体でやる。
だから強い。

ショービズは、暴力の反対側にあるきれいな要素ではない。
喧嘩の音も、汽車の音も、誰かのいびきも、同じ街から出てくる素材になる。

街の雑音が曲になり、街の汚れが舞台になる。
ここで急に、居場所が床だけではなく、音として立ち上がる。

キャストの並びが、作品の匂いを先に作っている

キャストも濃い。
城田優とディーン・フジオカが物語の中心に立ち、Snoop Dogg、穂志もえか、Tori Kelly、大塚明夫、西岡德馬、藤原聡、Cordell Broadus、Ado、菅原文太の名前が続く。
ただの豪華キャスト発表というより、時代の匂いを先に置いている。

特に菅原文太の出演。
ここは軽く扱えない。
公式発表では、ご遺族の了承と東映から提供された当時の映像・写真をもとにCGデザインを作成し、音声は宇梶剛士が担当すると説明されています。

過去の映画的身体が、現代のゲーム内に立つ。
声は現在から来るのに、顔には昭和の記憶がある。

この重なり方、かなり強い。
単なる再現ではなく、時代そのものをキャスト欄に呼び込んでいる感じがある。

そして主題歌。
Snoop Dogg、藤原聡、Ado、Tori Kellyによる「STRANGER THAN HEAVEN」。

国もジャンルも声質も違う声を、同じタイトルの下に置く。
大東真が街の音を拾ってショーを作るなら、作品の外側でも、異なる声が一つの曲へ集まる。

ここまで来ると、キャスト発表そのものがもう舞台装置です。

龍スタTVの掘り下げも置いておく

こういう作品は、発表映像を一回見て終わりにすると少しもったいない。
街の名前、時代の順番、キャストの置き方、左右半身の操作、ショービズの変さが、見返すたびに少しずつつながってくる。

一度見たあと、もう一度見ると、情報の下に別の線が出てくる。
情報量が多いのではない。
情報同士が、やたら絡む。

この絡み方が、龍が如くスタジオの新作としてかなり期待できるところです。

既存シリーズとの接続だけで読むと、少しもったいない

1965年の東京・新宿に、裏社会とRGGスタジオの名前が重なる。
この時点で、どうしても既存シリーズとの接続を考えたくなる。

分かる。
そこは当然気になる。

でも、今回は「どこにつながるか」だけで読むと少しもったいない。
むしろ見たいのは、組織ができる前に、人はなぜ組織を欲しがるのか、という部分です。

居場所がなく、守ってくれる場所もなく、自分の名前が通らず、正規の入口からも入れない。

だから、場所を作る。
仲間や縄張りや舞台を作り、最後には名前まで作っていく。

起源というのは、固有名詞の答え合わせだけではない。
必要に迫られて何かが生まれてしまう、その温度のことです。

この作品がそこまで描くなら、かなり怖い。
そして、かなり見たい。

豪華すぎる不安も、ちゃんとある

もちろん不安もある。
要素が多い。

5つの時代と5つの街に、左右半身コンバット、ショービズ、音集め、豪華キャスト、主題歌が重なる。
さらに戦前・戦中・戦後、異邦人、裏社会まで抱えている。

全部を抱えるには、作品の骨が相当太くないといけない。
一歩間違えると、情報量の暴力で散らかる。

でも、現時点ではその散らかりそうな要素が、「居場所」という一点へかなり集まって見える。
街も身体も舞台も関係性も名前も、すべて「どこに立つのか」という問いへ戻ってくる。

だから期待してしまう。
理解はしている。
まだ完成品を見ていないことも分かっている。

でも、この材料の置き方は、もう気になる。
気にさせるだけの匂いがある。

最後に残るのは、足元の話です

『STRANGER THAN HEAVEN』は、天国を目指す話ではなさそうです。
もっと土っぽく、汗っぽく、音がうるさい。

居場所がない男が、街に入る。
殴り、歌い、音を拾い、仲間を得て、敵を作り、時代に削られる。
それでも、立つ床を作ろうとする。

ここが良い。
夢ではなく床、理想ではなく足元の話として迫ってくる。

天国より奇妙な場所で、彼らはたぶん、救いではなく居場所を作る。

その足音が、もうかなり重い。

参考リンク

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